コンビニでも気軽に買うことができて、おやつに食べたい時に食べることが出来るみたらし団子。
あの甘辛いタレともちもちした団子がたまらなくおいしいですよね。
何気なく食べている、みたらし団子ですが、よく見ると1つの串にはお団子が4つ。
コンビニで売ってるのも、デパートで売ってるみたらし団子をみても・・・お団子は4つあります。
みたらし団子はなぜ、1串4個なのでしょうか?
今回はその、謎について解説していきます!
みたらし団子が一串4つになった理由は?
みたらし団子が一串4個になった理由!は
これには諸説あるのですが、
江戸時代に四文銭が出来たことが有力な説のようです。
京都で生まれたみたらし団子は、その美味しさから大人気になり、全国に広まっていったそうです。
みたらし団子は最初一串5個で5文(1個1文)で売られていましたが・・・
1756年頃に4文銭が鋳造されると、4文銭しか払ってないのに、一串5個の団子を食べる人が続出してしまい、困ったお店側が団子の数を4個に減らして売るようになったのだそうです。
お団子の数は、時代によって変わっているようですね。
1999年、NHKの「おかあさんといっしょ」から生まれた「だんご3兄弟」という歌が大ヒットした時には、一串3個の団子が広まりましたよね。
みたらし団子の語源は?
みたらし団子の語源は京都市左京区にある下鴨神社だといわれています。
下鴨神社の本殿東に御手洗川と御手洗社があります。
土用の丑の日の前後には、御手洗祭(足つけ神事)が行われ、たくさんの人達が御手洗池に膝まで足をつけて無病息災を祈るのだそうです。
御手洗池の水温は真夏でも20度ほど、猛暑の時期でも冷たく感じそうですね。
御手洗団子の由来は
さかのぼること鎌倉時代、後醍醐天皇が御手洗川の水を手ですくったところ、大きな泡が一つ浮かび、その後に四つの泡が浮き出てきたのだそうです。
一つ目の泡が頭、後の泡が四肢を表し、
お祭りの際には、この泡を模してお団子が作られ神前に供えられました。
竹の先を10本に割って扇のような形にし、1つの串に5個の団子を差した串団子です。
この団子に味付けをしたのが下鴨神社近くに茶店をかまえる亀屋粟義さん。
こちらの「加茂みたらし団子」は一串に団子が5個、一番上の団子と後の4つの団子の間は離れていて、人の体を表しているそうです。
京都や関西の地域では、一串に5個の団子が売られているのですが、
関東では一串4個の方が多いです。
花見団子が3個になった理由は?
花見団子が3個になった理由には、いくつかの説がありますが、特に有力なものが2つあります。
豊臣秀吉説
豊臣秀吉は花見を愛し、当時流行していた3色の団子を串に刺して「花見団子」として楽しんでいたとされています。
これは、桜をイメージする赤、白酒を表す白、そしてよもぎを象徴する緑の3色で構成されています。
三重苦説
仏教の概念である「貪欲・瞋恚・愚痴」という三つの苦しみを表す「三重苦」があります。
この説では、花見団子が3つの色で表現されることで、これらの苦しみを乗り越える象徴として捉えられています。
その他にも、昔から3は縁起の良い数字とされていたため、花見団子が3個になったという説もあります。
いずれにせよ、花見団子が3個になった理由には歴史的な背景や文化的な意味が込められています。
何気なく食べていた花見団子ですが、色にも意味があったりして興味深いですよね。
さいごに
みたらし団子が一串4つになった理由、いかがだったでしょうか?
お団子の数は時代にあわせて柔軟に変わっていったようですね。
私は下鴨神社には何度も行ったことがあるのですが、亀屋粟義さんには行ったことがなかったです。
一串5個のみたらし団子は食べたことないので、今度は是非、食べてみたいな(^^♪
最後まで読んでくださりありがとうございました。
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